ほろにがパンケーキ理論
- 15hono20
- 2025年11月10日
- 読了時間: 6分
更新日:2025年11月26日
その日、二人はほのかが暮らすアパートの部屋で気怠げな休日を過ごしていた。ソファで寛ぎながら携帯端末を眺めるラキオに、冷蔵庫を覗き込んだ姿勢のほのかが問いかける。
「ラキオちゃん、お昼ごはんどうする〜?食べる〜?」
基本的に必須栄養素をサプリで摂取し、食事を摂らないラキオだが、ほのかと過ごすようになってからはその事情が変わってきている。ほのかが作る料理やほのかが食すものへの興味が尽きず、近頃はほのかと共に食事を摂ることもあるのだ。
「……何か作るの?」
「うん、何作ろうかな〜って……えへへ、たまにはラキオちゃんが作ってくれても良いんですよ?……なんちゃって、冗談ですっ」
「……勘違いしないで欲しいンだけど……料理が出来ないから君に任せてるわけじゃない」
「え……ラキオちゃん、料理……出来るの?」
ラキオの返答を受け、興味をそそられたほのかは冷蔵庫を一旦閉めてラキオに向き直った。料理が出来るのかという質問への回答に想像と期待を膨らませながらじっと見つめると、ラキオは問題を解説するかのように持論を述べた。
「調理とは熱処理と化学変化の制御だろう?実験と同じだ」
「えっ!?全然違うよ〜!」
その発言で、直感ではあるが、ラキオに料理の経験が殆ど無いことをほのかは察した。幾許かでも料理というものに触れたことがあれば、おそらく聡明なラキオであるからこそ、それを『実験と同じ』などと形容しないだろうからだ。真っ向から否定されたラキオは少々ムッとして食い下がる。
「具体的に、何がどう違うのさ?」
「ええ〜……だって、なんというか……料理にはもっとこう、感覚と経験が大事っていうか……?あと、心を込めることが一番大事だよ、ラブだよ、ラブ!」
ほのかは両手でハートの形を作りながら、懸命に言語化を試みる。しかしラキオはそのジェスチャーに呆れ気味の表情で返す。
「相変わらず君の理論は抽象的だな……その〝感覚〟と〝心〟ってやつが、レシピを曖昧にするンだろう?」
「う……でも、やっぱり実験ではないような……」
珍しく反対の姿勢を貫くほのかに、ラキオの苛立ちも次第に濃くなっていく。
「何?僕には感覚と経験と心が無いから料理は出来ない、とでも?」
「いや、そういうわけでは!!あっ……じゃあ、今度一緒にごはん、作ろっか!」
「別に君とじゃなくたって……僕一人で出来るンだけど」
「え、えっ……あの……そうなの……?」
ラキオのプライドを守るためのほのかの決死の提案も、引くに引けなくなってしまったラキオの高山のようなプライドの前では逆効果であった。頑なにラキオの言葉を信用しないほのかに痺れを切らしたのか、その複雑なプライドはラキオをさらに暴走させた。
「……じゃあ今日の昼食は僕が作るよ。君は座ってればいい」
「ええっ!ほんとに言ってる!?大丈夫!?」
「うるさいな。黙って座っててくれる?」
「ひぇ……!は、はい………」
こうなってしまった以上、無理に止める方がプライドに傷を付けることになるだろう。ほのかは心配の面持ちでラキオを見つめつつ、その言葉を信じて昼食の完成を待つことにした。
数十分後、部屋には甘い香りが充満し、ほのかの空腹を煽っていた。調理中、キッチンの様子が気になって仕方がないほのかにラキオが見るなと言いつけたため、ソファで待つほのかには香りと音で進捗を想像することしか許されないのであった。
「……出来たよ」
「えっ、ほんと!?」
待望の台詞にほのかは目を輝かせてダイニングテーブルについた。ラキオがテーブルに、やや小ぶりなパンケーキが二枚乗せられた皿、そしてフォークとナイフを配膳する。湯気の立ち上るパンケーキの上にはとろけるバターの欠片が添えられ、つややかなメープルシロップの香りも、ほのかの鼻腔をくすぐった。
「わ……!すごい、綺麗な焼き色!美味しそうっ……!すごいすごいっ!」
「……っ、言っただろう?料理くらい、なんてことない……」
「さすがラキオちゃんだね、なんでも出来るんだね!えへへ……いただきますっ」
「………」
ほのかが満面の笑みでパンケーキを切り分けるのを、ラキオは立ったまま、固唾を飲んで見つめる。そして切り分けた一片を口に運ぼうと持ち上げて、ほのかは動きを止めた。ほのかを見ていたラキオも、観念したとばかりに視線を逸らす。
美しいきつね色のパンケーキの裏面は、真っ黒だった。見るなと言われていたキッチンに恐る恐る目をやると、調理台には提供するのが憚られると判断されたのであろうパンケーキ達が皿にうず高く積まれ、鎮座していた。
「っ……ああそうだよ、失敗したよ……あんな大口叩いておいて、このザマだよ……フン、笑えばいいじゃないか……!」
ほのかに全てを悟られたラキオはやけになり、腕を組んで不貞腐れた。そんなラキオを見てほのかは、噛み締めるように笑った。
「……ふふっ……!こんなの、失敗のうちに入らないよっ」
そしてフォークに刺さっているオセロカラーのパンケーキを、何の躊躇いもなく口の中へ入れた。
「!ちょっと……!」
「ん……ほろ苦で、メープルシロップと相性ばっちりかも!」
「……そんな嘘、ついてまで食べなくたって……」
「嘘じゃないって、分かってるくせに」
唇についたメープルシロップをぺろりと舐め取りながら微笑むほのかに、もう今日のラキオは何の反論も出来ないほど困憊していた。
「ねえ、二枚じゃちょっと足りないかも……」
「は……?」
皿に乗せられた小ぶりなパンケーキを見つめながら、ほのかがぽつりと溢す。足りないと言われても、人に出せるような出来栄えのものなど他に無い。パンケーキとはどの程度の直径で焼けば良いのかも分からぬままあれこれやっているうちに生地が少なくなり、辛うじて片面だけでも見栄え良く焼けたのはこの二枚だけだったのだ。
自分で何か作れば、とラキオが言いかけると、ほのかはキッチンに積まれた〝不採用〟のパンケーキを指さして言った。
「あれも、食べたいな……」
「な……っ!」
「えへへ、良いでしょ?」
ほのかはキッチンからそそくさと不採用パンケーキの皿を持ち出し、食卓にどんと置いた。
「ラキオちゃんが頑張って焼いてくれたんだもん、全部食べたいに決まってるよっ」
「……っ……ハァ……もう、勝手にしたら……」
「はーい、勝手にします♪」
焦げたパンケーキも歪なパンケーキも構わず幸せそうに頬張るほのかを、ラキオはなんだか見ているのがむず痒くて、ごちゃごちゃになったキッチンと脳内の後始末をすることにした。
ほのかがパンケーキに夢中になっていると、傍にそっと、温かい紅茶の入ったマグカップが置かれた。
「……口直しが必要だろう?」
それはラキオなりの謝罪であって、素直に伝えられない気持ちが、柔らかな琥珀色にそっと滲んでいるのだった。
「んふ……ありがと、ラキオちゃんっ」
ほのかはラキオの方を見ないようにして、応える。今、どんな顔をしているんだろうか。きっととっても可愛いんだろうな、ああ、見たいなあと、紅茶を啜りながらしみじみと思うのであった。
コメント